今尾電機の歴史

今尾電機の歴史 History of IMAO ELECTRIC MECHANIC

大正から昭和へ
鈴鹿の地で商いを。

岐阜県今尾町(現在の海津市)にて生を受けた初代、後藤寛一は戦争よりの復員の後、鈴鹿玉垣の地にて商いを始める。

昭和37年7月1日電機屋創業

道路は砂利道、電柱が木製だったころ。
二代目後藤武久は初代の出身地、今尾にちなんで、
地域の電機屋、今尾電機商会を設立。
自宅の軒下でセルダイの修理から始めました。
2年後、軒下で始めた今尾電機を23号線に面した現在地へと移転。初めての工場を建設。
セルダイはダイナモ、セルモーターへと変わり、後付けのヒーターの取り付けを主軸に一つずつ作業を完成させてきました。

昭和50年代地域の電装業

旧工場の一部を事務所として改築し、工場を拡大。
地域のお車を修理する実績から鈴鹿のディーラーサポートの拠点としてさらに多くの作業を請け負います。
車業界は目まぐるしい技術革新とともに、車がより一層身近な存在に。
カーエアコン、カーステレオなどの修理はもちろん新車への取り付け業務も爆発的に増加。
小さな電機屋だった今尾電機は、地域の電装業者として
確かな信頼を獲得します。

昭和から平成へ

電装屋としてのさらなる成長、そしてこれからの時代を見据え、広報、営業活動を本格化。ディーラーだけでなく地域の町工場のサポートにも。
高度経済成長期、そして高度なコンピューター技術の発展で車は丈夫さだけではなく、
より快適に、より楽に目的地に到着することを目的とした様々な部品が発達しました。
カーナビゲーション、ETC…
今となっては当たり前の部品の多くの発展の中、時は平成に移ります。

平成10年代

二代目後藤武久が会長となり、代表取締役に三代目後藤真吾が就任。
社名を「株式会社今尾電機」に変更し、当時発展途上にあったHPを開設。
同時に大幅な社内組織変更を行い、会社として様々な経営基盤の強化に尽力しました。

平成24年代

創業50周年を節目とし、約40年間使用されてきた工場兼事務所を取り壊し、店頭対応、一般のお客様が入りやすい事務所を目指して現在の新事務所を開店。

代表者挨拶

先代社長 後藤武久が昭和37年に家業として起業して以来、時代ともに自動車も、人々のニーズも多様化し、自動車電装業務内容もさまざまな形に変化してきました。

それに伴い当社でも、時代の狭間でスタッフと共に、苦悩しさらなる技術向上を図り新分野への挑戦、既存分野の見直しを実施し経営基盤の強化に努めてまいりました。
その中でも、私には心に刻み込んでいることが有ります。
時代風景がどんなに変わっても「商い」の基本姿勢は変わらないということです。
「 いらっしゃいませ ~ ありがとうございました まで、 お客様に気持ち良く満足して頂きたい!! 」

高級ホテルの接客、人気ラーメン屋の元気挨拶、ディスカウントストアの業者仕入れ価格を下回る低価格…
そんな極端なことはできませんが、当社でできる精一杯の接客、挨拶、価格、整備サービスを 日々ご利用して頂けるお客様に、感謝の心を持って一生懸命にご提供いたします。

さらなる顧客満足を求めて・・・。
当社は、お客様にもっともっと満足して頂けるように、日々の接客や作業を通じて精進し、お客様に必要とされるサービスと商品の安定供給に努めます。
そして、地域の皆様に必要とされる企業であり続けることを目指します。

株式会社 今尾電機
代表取締役社長 後藤 真吾